安曇野に住む高校の同級生の友人が入院しているので、安曇野までお見舞いに行くことを計画。そのついでに白馬の八方池散策も行う予定だった。
ところが見舞予定日の1週間前に彼は逝ってしまった。膵臓がんの転移の末期だから時間の問題だったが、最後の会話を楽しみにしていたので訃報は残念だった。
予定していたお見舞の日がたまたま葬式となったので、弔い旅行ということで計画通り行動することにした。お葬式の後に穂高神社に立ち寄り2泊する予定の青木湖へ向うことに。
葬儀は安曇野にあるセレモニー会場に11時だ。東京を早朝に出発して関越道経由で向かうことにする。東京から向かう場合は中央道経由よりも若干安いのだ。
故人は個人経営で仕事に頑張っていたようで、葬儀には関係者が100人ほど参列されて盛大なお葬式であった。我が家と故人の家族構成が同じだけに残された遺族には同情してしまう。
その葬儀は「臨済宗」の技法でやっていたのだが、中国の映画に出てくるような中華風な演出には驚いた。事あるごとに3人で(チ~ン)(ドォ~ン)(シャーン)と楽器を奏でるのだ。
(チ~ン)は仏壇にあるリンとリン棒で、(ドォ~ン)は小さい太鼓で(シャーン)はシンバルのようなもの。儀式オープニングにいきなり10回位(チンドンシャン)を連打される。
説法(お経)の節目節目に(チンドンシャン)のセットを数回連打。導師がお経を読むのだが、その導師を取り囲むように(チンドンシャン)担当の3人が配置している。
さらに驚きは「故人が成仏出来るように、これから引導を渡します」と話した直後に、祭壇の中のご遺体に向かって大声で(喝ぁ~つ!)と導師が怒鳴ったのだ。
これには管理人だけではなく他の参列者やご遺族もビックリ。ご遺族のお嬢さんはその瞬間ビクッとしていた。このような葬儀は初めてで久しぶりのカルチャーショックだった。
耳障りな(チンドンシャン)でメリハリのある葬儀だったので、参列者は(次に何が起こるか)という気持ちもあったと思う。そんな葬儀だから参列者も集中が途切れない。
最後はお決まりの(チンドンシャン)の限りない連打で終了。パフォーマンスが多く適度に騒がしくもあって、(ある意味)参列者は飽きなくていい葬儀だったかもしれない。
一般的な葬儀はお経と木魚を長々とやっていくので(刺激が無くて単調で)ボーっとするが、今回の葬儀は(いい意味でその逆で)最後まで葬儀を真剣に見守ることができた。
あの世で友人に→(君の葬儀は凄かったぞ!参列者も多かったけど「厳かというよりも喧騒な雰囲気で」なかなかインパクトがあったよ)と報告したら何というだろうか。
精進落としの後に会場の玄関でご遺体搬出のお見送り。火葬場は別の場所で行うので自分たちはここでお別れだ。(またあの世で会おうぜ。それまでお元気で)
その後は会場で喪服から普段着に着替えて、計画の通り穂高神社に移動する。穂高神社は長野県安曇野市穂高という場所にあるので車で10分程度の距離。
その亡くなった友人の住所も安曇野市穂高だから、友人も初詣や子供の七五三で何かと利用していた神社ではないだろうか。何となく寂しいような。
次回は穂高神社から青木湖の話です。 次の記事→
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