24日に他界した母のお通夜は27日に、そして昨日の28日に告別式を行った。東京は25~26日と連続で-3℃以下の最低気温を観測されて53年ぶりの記録的冷え込みになったとか。
27日もー2℃で28日もー1℃と冷え込んでいた。お通夜と告別式は「戸田葬祭場」で行った。「戸田」という名前が付いているが埼玉県戸田市ではなく東京都板橋区の所在である。
戸田葬祭場には立派な鉄筋コンクリート造の本館と別館に仮設的なサービス館がある。今回は家族葬ということで式場・霊安室が・休憩所が小さくまとまっている(サービス館)で行った。
本館や別館と(サービス館)は建物がそれぞれ別です。(サービス館)だけは2階建ての小ぶりです。(サービス館)のメリットの一つは関係者だけとしか顔を合わせなくて済むこと。
そして詳細は把握していないが利用価格が安いのかも知れない。それでも遺体安置・お棺・お花・サービス館使用料・火葬等で100万円以上かかったらしい。お坊さんや戒名代は別です。
1Fで通夜と告別式を行い2Fで食事や精進落としをやるようになっている。ロビーの移動はないけど2Fへの外階段の移動がある。昭和じゃあるまいし、エレベーターがなくて外階段だ。
喪主の兄が決めたのだが建物がお粗末過ぎる感じは否めない。遺体を預かってもらうのと10名足らずの参加者だから(サービス館)の利用になったのかも知れない。それにしても寒かった。
玄関から靴を脱いで入室するがスリッパが用意されていない。コートも全員が別室に置いてきている。お経の間にスリッパの履いていない足がしびれてくる。ただひたすら寒さに耐える。
床は板に薄いカーペット(コンパネにパンチカーペット)仕様だから冷えて当たり前だ。エアコン点けているが暖まらない。効きが悪い。壊れているか?寒すぎて故人を偲ぶことが出来ない。
故人を偲ぶというよりも自分の身を案じてしまうほど寒い。式に集中できない。遺影写真を見ながら(お母さん寒いよう)と心の中で叫んでいる始末だ。お坊さんも鼻水グスグスしている。
お坊さんも寒そうだ。こんな寒い日にこのような寒い場所でやるなんて、哀しみに浸らないようにというお母さんの演出なのかと思ってしまう。さすが(おふくろ)と言うべきか。
ちなみに告別式にはスリッパを持参してみた。しかしそれでも寒かった。冷房が入っているのではないかと勘違いするほどの寒さだ。後日、風邪ひいて熱が出たのは言うまでもない。
そんな環境下でお通夜と告別式を行ったので、寒さで気が紛れたせいか涙腺は極端には弛まなかった。その「サービス館」での最後の儀式が母に花を手向けてのお別れです。これは辛い。
この儀式、昨年友人の葬儀でやったけど、その時は他人事で動揺もなく行えたけど、実のお母さんだと冷静ではいられない。お母さんと最後のお別れの正式な儀式だ。涙が自然に溢れる。
告別式の後は形式的に遺体を霊柩車に乗せて数十m移動させて火葬炉に移動。いよいよ、その母の姿との永遠の別れの時が間近になる。いよいよだ。最後の本当のお別れのカウントダウン。
お棺が火葬炉に入れられる時に一礼をするのですが、そこでカミさんが急に泣き崩れてしまい管理人も同調してしまいました。カミさんには実の娘のように接してくれた母でした。
もう母の姿が見られなくなるというのは寂しすぎる。何度も何度も「今までありがとう」と心の中で叫びました。このブログを書いている今も、その時の状況を思い出すと涙が止まらない。
約1時間ほど待つと火葬が終わり骨になって戻ってきます。父の時は(こんな骨だけになっちゃって)と悲しくなりましたが、今回は何故か冷静に骨を拾うことが出来ました。
たぶん、母の姿がそこにないので(原型を留めていないので)、母とは別物という感じに思えたのでしょうか。その後は時間が経つに連れて「もう会えないんだ」という実感が沸いてきます。
まだ病院や実家に行けば会えるような不思議な感覚です。でも現実はもう会えない、この世にはいません。葬儀が終わるまでは儀式の連続でドラマを観ている気分だったのかも知れません。
これから少しずつ現実に戻り、母の存在も意識から整理されていくのでしょうね。「お母さん、育ててくれて、今まで見守ってくれて本当にありがとう!あなたは神様以上の存在でした」
「お母さんの心遣いを忘れず、我が子にも同じように接していきますね。ありがとうの言葉だけでは感謝が全然足りないけど、お母さん、本当にありがとうございました」
「そちらの世界では怪我の痛みから解放されて、元気ではつらつとされているのではないでしょうか?お母さんの優しさは一生忘れません。またお会い出来る日までお元気で、さようなら!」
・・以上で母の他界関連の記事は終わりにします。母の他界については記事にするかどうかを迷いましたが、母を失うことは一生に一度の経験ですから記事にさせていただきました。
もしかしてブログという目に見えないインターネットの世界とあの世には接点があるかも知れません。そんなことで、ここで母にメッセージを書くのもありかなというのも理由の一つです。
基本的に湿っぽい記事は書きたくないので次回からは普通の話題に戻します。ここまで、最後まで読んでいただきありがとうございました。
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